2016/11/01 (  火 )

NIHONBASHI BRIDGE FORUM 2016

NIHONBASHI BRIDGE FORUM 2016

NIHONBASHI BRIDGE FORUM 2016
「伝える」マネジメント
思いを伝播するリーダーの技術と極意

基調講演 1:「伝えるスキルとセンス」

 

 

 本講演のトップバッターを努めたのは、一橋大学大学院国際企業戦略研究科、教授の楠木建氏。「競争戦略とイノベーション」を専門とし、数多くのビジネスパーソンから熱い支持を受けています。今回は、経営者との対話により楠木氏が導き出した「ビジネスにおけるスキルとセンス」、「好き・嫌い」についてご講演いただきました。

 

  

 まず大前提として、ビジネスは科学とは違います。商売事や伝えることのような、人が強く関わる領域には法則がありません。「こうやったらうまくいく」という飛び道具は、幸か不幸かないのです。ある時、日本を代表する実業家の方が「お客様の目線で考えること」が商売の要だと私におっしゃいました。これほど当たり前のことはないように思えますが、これ以上のことはありません。伝えることも同じように、聞いている人の目線で考えることが大切です。「言われてみれば当たり前」のことをやるしかないのです。

 ビジネスの場では「スキル」と「センス」という、相反する2つの物事が議題に挙げられます。ビジネスマンは、技量の多寡が見えやすいスキルにばかり傾倒しがちですが、センスにおいてはどうでしょうか。センスは努力と結果の因果が測れません。ゆえに経営センスとは、「向いている人がやればいい」としか言いようのないものでもあります。

「スキル」と「センス」の違いは「担当者」と「経営者」の違いにも例えることができます。 担当者であればスキルがものを言うわけですが、商売全体をまるごと動かし、成果を出す経営者にはセンスが重要になるのです。

 

 

 これは物事を伝える場合でも同じです。伝え方のスキルはもちろん必要ですが、そもそも何を伝えたいのか、伝える内容はセンスによります。スキル以前に、伝えたいことの本質は、自分の内側にある本当にやりたいこと「ドライブ・動因」がにぎっています。

「インセンティブ・誘因」は自分の外側にあるものですが、これがあればスキルはおのずと上がります。しかし、「ドライブ」がなければ人の気持ちを動かすことはできません。

 自分の内から湧いてくる「好き」をドライブにする。「好きこそものの上手なれ」と言いますが、これは努力を娯楽に変える最強の理論です。好きなことを続けていれば、やがて上達し、センスになる。ですから、私はあえて「良し悪しよりも好き嫌い」という言葉をよく使います。だから、私は「好きにしてください」と言うのです。

「シンプルかつストレートにお話のエッセンスがまとめられていて、まさに“伝わる”講演でした」
「著作も拝読しているが、内容がさらに磨かれており、非常にわかりやす
かった」


一橋大学大学院国際企業戦略研究科
教授
楠木 建


1964年東京生まれ。1992年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部助教授および同イノベーション研究センター助教授などを経て、2010年より現職。専攻は競争戦略とイノベーション。著書に『「好き嫌い」と才能』(東洋経済新報社)、『「好き嫌い」と経営』(東洋経済新報社)、『経営センスの論理』(新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)、『知識とイノベーション』(共著、東洋経済新報社)などがある。

基調講演 2:「夢持ち続け日々精進」

 

 

 通販業界大手「株式会社ジャパネットたかた」の創業者であり、現在は株式会社A and LIVEの代表を務める髙田明氏。商品を通して得られる幸福という「価値」を視聴者に分かりやすく伝え、これまでの常識を覆す方法で新たな市場を創出してきました。顧客と真摯に向き合い、情熱的に伝え続けた30年間で、髙田氏が見いだした「伝える極意」とは。当日は講演原稿を用意せず、マイク1本だけを持って舞台に立った髙田氏。熱い語り口に引き込まれる、圧巻の40分となりました。

 通販会社を立ち上げてから30年、私は伝えることをずっと続けてまいりました。よさが伝わらなければ買っていただけないシビアな世界で、自分の思いや商品の価値を伝えるために、何度も思考錯誤し、何十回もテイクを重ねる。その積み重ねが、これまでのビジネスマン人生だったと思います。

 

 本日お越しの製造業の方々の中で、「会社の思いは消費者に伝わっている」と自信をもって言える方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。(ここで髙田氏が会場に挙手を求める)挙がった手の数は意外に少ないように思えます。これはとても大切なことで、私はよさを「伝えたつもり」になることが一番怖いと考えています。「伝えたつもり」と「伝えることに本気で取り組んでいる」のでは確実に差が出ます。だから私は「やるなら徹底的に“つもり”にならずやりなさい」とよく言います。そして「やり続けて、今を生きる」というのを自分の人生のテーマとしております。

 

  伝え方には「我見」と「離見」があります。一生懸命伝えようとしても伝わらない時は、我見が勝っている時です。お客様の求めるものとは関係なく、一方的に「この商品はすごいでしょう、ここまで進化しましたよ」と打ち出したいポイントばかりを言い続けている状態です。

一方、離見とは、お客様が自分たちの製品やサービスをどのように評価しているのか、という視点を意識することです。離見で伝えることが大切なのです。 物事を伝える時、必ずその先には相手がいます。誰に何を伝えたいのかを明確にすることが重要です。これがブレてしまうと伝わりません。

 

  伝えるときには論理性も必要です。物事の順序がバラバラだと相手には伝わりません。情報を整理して伝えるコツは「序破急」にあると私は考えます。序破急とは能の世界の世阿弥の言葉ですが、序は導入部分、破は展開、急は結論のこと。破の展開の中にも、さらに序破急があります。

また、コミュニケーションにおいては、非言語の要素も重要です。相手に与える印象の全体値を100とした時に、言葉が占める役割は2割です。あとの8割は表情やしぐさなど、非言語の力が影響しているのです。伝えるときには、指が喋り、体が喋り、目が喋り、顔の表情が喋っている。これは言い換えれば、情熱です。情熱をもっているかどうかが、伝わるかどうかに関係します。会社組織であれば、マネジメントは部下に対して情熱を持って表情豊かに夢を語れなければいけないと思います。

 

 我見と離見、そして言葉と非言語を駆使して情熱をもって伝えていくということが、どんなビジネスにおいても重要だと思います。

「熱く語る姿にどんどん引き込まれ、文字通り”伝える”伝道師だと感じました」
「積み重ねた経験からのお話には重みがあり、情熱的な人の生きざまを目の当たりにできて感動しました」

 


株式会社A and Live
代表取締役(ジャパネットたかた創業者)
髙田 明


1948年長崎県生まれ。大阪経済大学卒業後、機械製造メーカーへ就職し通訳として海外駐在を経験。74年に父親が経営するカメラ店へ入社。86年に「株式会社たかた」として分離独立。99年に現社名へ変更。90年にラジオでショッピングを行ったのを機に全国へネットワークを広げ、その後テレビ 、チラシ・カタログなどの紙媒体、インターネットや携帯サイトなどでの通販事業を展開。2012年には東京へオフィスとテレビスタジオを新たな拠点として開設する。2015年1月に「株式会社ジャパネットたかた」の代表を退任し、同時に「株式会社A and Live」を設立。「株式会社A and Live」社名の由来:今を生き生きと生きる世の中にしたいという想いから。

特別対談:スペシャルLIVE対談!髙田明氏×楠木建氏

 

 

「ユーザーの人生を豊かにするために物作りをしている、企業の思いを消費者に伝えることが大切」と語る、株式会社ジャパネットたかた創業者の髙田明氏。髙田氏の言葉に「伝えることが理屈抜きに好きなんですね」と感嘆する、一橋大学大学院教授の楠木建氏。お二人に共通する哲学は「“好き”が可能性を引き出す」ということ。ここでしか見られない、貴重なスペシャル対談が実現しました。

 

 

 

楠木:髙田さんは、本日のテーマについてお話を伺うにはもっともふさわしい方だと思いますが、長くテレビで伝え続けるうえで、伝えるターゲットと伝え方というのはどのように絞り込んでこられたのでしょうか。

髙田:ターゲットと伝え方は商品によって異なるのですが、どの製品にも共通していえるのは、企業は消費者の生活を豊かにするためにものづくりをしているということです。それを消費者に伝えることが大切だと思います。

楠木:伝えたいと情熱を持ってカメラに向かうなら、伝えたいと思えない商品は扱わないということでしょうか。

髙田:扱わないというより紹介できないのです。心から伝えたいと思えなければ言葉も出ないし、表情も真実の表情にはなりません。

楠木:根底に自然な思いや情熱があれば、テクニックを箇条書きにしてマスターする必要はないということですか。

髙田:そうですね。そして伝える時は「この商品を使うと、こんなふうに生活が変わりますよ」ということに紹介時間の8割を割きます。残りの1割が機能の説明、あとの1割が値段です。機能の説明が1割だけでも売れる商品はたくさんあると思います。逆に機能の説明を8割していたら、買おうという気にはならないでしょう。

 

楠木:髙田さんは今や伝え上手、伝える名人でいらっしゃいますが、伝えることを始めたときから今と同じような考え方、スタンスだったのでしょうか。

髙田:それは「ノー」ですね。考え方やスタンスは、意識しなくても経験の中でいつの間にか積み上がってくると思います。私は40歳までカメラ店をやっていたのですが、ご年配の方に使い方を教えていくなかで「相手がわかって初めて伝わるんだ」ということを学びました。ソニーのビデオカメラを扱ったことがカメラ店の飛躍につながったのですが、当時、売るためにはどうしたらよいかと考えた末に訪問販売をしました。お子さん、お孫さんの顔をテレビに映し出すと、それを見てみんな喜んで、ビデオカメラを買ってくれたのです。喜んでもらえることを考え伝えただけで、売上は九州で一番になりました。「小さなカメラ店がどうしてそんな数を販売できるんだ」と人からは言われましたが、私はお客様に喜んでもらえることを行っただけなのです。

楠木:その時代から、伝えることの喜びや、結果として商品が売れるという醍醐味を体感してこられたわけですね。奇をてらったことや誰も思いつかないことをやるのではなくて、人間の本能のど真ん中に訴えかけることを行う。天才的な洞察力やクリエイティビティが必要な物事ではないんですね。

髙田:はい。これはよく申し上げていることなんですが、直感やクリエイティビティ、市場の変化を作り出す力はすべての皆さんに備わっているものだと思うんです。それは一途にやり続けている、「今を一生懸命やっている自分」を作り出す人なら、100%持ち合わせています。 市場の変化に対応するのではなく、市場の変化を作る。その力は、いま目の前にある物事を着実に積み上げていくことで、身についていくと思います。

楠木:商品を使う喜びや生活の向上を伝えるのは、カメラ店で直接販売していた時代から通販の仕事まで、振り返るとずっとつながっていますね。伝えることがよほどお好きなんだと思います。理屈抜きにお好きなんですね。

髙田:そうですね(笑)。やはり「好き」というのがベースにないとできませんね。ただ会社員の場合、入社当初から配属先の仕事が好きだとは限りませんよね。けれども人間は働くことで、その仕事を面白いと感じる自分をつくっていけると思うんです。仕事は好きなものを選ぶのが一番よいのですが、頑張っていればどんな仕事であっても「好き」にできるのではないでしょうか。

楠木:私も同感です。自分の好きのツボを押してくれる仕事であれば「好きこそものの上手なれ」のメカニズムは自然と作動してくれると思います。

「Live感が強く、手探りでストーリーが作られていく様子を楽しめました。お二人のギャップからポイントが明確になって良かったです」
「楠木先生のリードが素晴らしく、お二人のよいところが引き出されていて、痒いところに手の届く対談でした」

 

ランチセッション:「話芸の最高峰、真打に学ぶ 伝える技術」

 

 

「弟子入りした立川談志師匠は、人一倍めんどうくさい人でした。むちゃぶりの結果、たばこを買いに行ったまま、いまだに戻ってこない弟子もいます」

―立川談志師匠の弟子として、むちゃぶりに耐える日々から、半歩先を予測する術を身に付けた立川談慶氏。明日から誰もが実践できる「話術・伝える力をアップできるコツ」を伝授いたします。

 

本公演の後半には、談慶氏の落語の舞台も登場し、今と昔の「伝える技術」を同時に体感できる貴重な時間となりました。

 

 

 師匠の立川談志はめんどうくさい人でした。おかげで最近『「めんどうくさい人」の接し方、かわし方』(PHP研究所)という本も書かせていただきました。

落語家になるためのプロセスは修行です。言葉の天才・魔術師でもある師匠が「修行とは、不合理、矛盾に対する忍耐力だ」と定義していました。つまり「むちゃぶり」です。そのむちゃぶりのおかげで今の自分があること、そこから学んだ「誰もが話術、伝える力をアップできるコツ」をお話しさせていただきます。

 

 落語家になるにはまず入門、弟子入りしなくてはなりません。私は前座として名前をもらうまでに1年2カ月かかり、ついた名前は前職にちなんだ「立川ワコール」。すぐやめるだろうと期待されていなかったのです。実際ドジの連続で、怒られながら真打ちまで9年半、人の3倍時間がかかってしまいました。逆にいえばそれだけ師匠のエキスを多く浴びることができたわけです。

 師匠は留守番電話に「明日帰るから迎えにこい」とメッセージを入れてくるけれど、出掛けた先も迎えに行く先も教えてくれはしないのです。たばこの銘柄を教えてもらえないまま買いに出かけ、そのまま戻らなかった弟子もいます。そんなむちゃぶりの日々の結果、磨かれるのは「受け止め力」です。

師匠は「俺を快適にしろ」と言いました。人一倍めんどうくさい人間を快適にできれば、大衆を快適にするのは楽だという方程式なのです。そう思うと、むちゃぶりは不合理なようでいて、合理的なのかもしれません。むちゃぶりを受け止め、とにかく耐え、少ない情報の中で無い智恵を絞り、半歩先を予測し、師匠を快適にする術を身に付けていきました。

 

 

 

  普通、自分が話す時には攻めの姿勢、聞く時には守りの姿勢で臨んでいることが多いと思います。ところがこれを真逆の姿勢で臨むと、相手の言うことがよく分かることに気が付きました。

また、相手の感情を先回りして捉え、言葉にしておくと、不愉快な話でも相手に不快感を与えずに済みます。自慢話、愚痴、悪口といった内容を話す時には「これは自慢話だけれど」「愚痴っぽい話になるかもしれないけれど」「悪口に聞こえたらごめんね」などと、相手が持つであろう感情を先回りして言葉にしておくと、不快感も無くなりますし「この人は、私を客観的に見ることができる人だな」と評価も上がります。これはスキルというより、癖として身に付けておくとよいと思います。

 

 逆に自分が近づきたい人、価値観を共有したい人、あるいは自分の周囲から蹴落としたい人に対しては、自慢話、愚痴、悪口を言わせるためにわざと隙を作ったり、キラーパスを出したりします。相手がそれらを話せば弱みが分かり、自分が主導権をにぎることができます。

 

 プレゼンの時などには、つい成功談を話しがちですが、人に喜ばれうけるのは、むしろ失敗談です。失敗した話を有効活用することをご提案します。ちなみに私は師匠の下で犯した「しくじり」は、ネタとしてマクラに使っております。

 

 

「攻守の発想には目からウロコでした。とてもユニークな説明でしたが、どのお話も本質をついていると思います。さまざまなご苦労を力にされている様子が伝わりました」
「あっという間の80分間でした。落語を初めて生で拝聴しましたが、また聞いてみたいと思いました」

 


落語家(真打)
立川 談慶


1988年 慶応義塾大学経済学部卒業後、株式会社ワコールに入社。3年間のサラリーマン体験を経て、91年に立川談志18番目の弟子として入門。前座名は『立川ワコール』。2000年 二つ目昇進を機に、立川談志師匠に「立川談慶」と命名される。05年 真打ち昇進。慶應大学卒業生では初めての真打ちとなる。著書に『「めんどうくさい人」の接し方、かわし方』(PHP文庫)、『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)、『大事なことはすべて立川談志が教えてくれた』(KKベストセラーズ)、『落語力』(KKロングセラーズ)などがある。趣味は絵手紙、ボディビル(ベンチプレス120kg.)。

特別セッション:「世界基準の伝播術~グローバルリーダーの条件」

 

 

 GE米国本社でアジア人初のシニア・バイス・プレジデントに就任し、じかにジャック・ウェルチ氏の薫陶を受けた藤森義明氏。次代を担うリーダーを育成し変革を起こしていくために、組織はいかにあるべきか。また、そのためのリーダーの条件とは。日本のビジネス界を代表するグローバルリーダーに、世界基準の「伝える技術」を伝授していただきました。

 

具体的な方法論を伴ったロジカルな講演内容は、組織づくりにとって実りのある情報となり、質疑応答の時間には、参加者よりたくさんの手が挙がりました。

 

 

 自分自身の変革、経営論、リーダーシップ論などに対する考え方は、35歳から50歳くらいまでの間にどんな経験をしたか、どういうボスに出会ったかによってつくられます。私はGEでジャック・ウェルチという素晴らしい経営者と時間を共にし、経営論、リーダーシップ論の面で大きく影響を受けました。そのあと私自身の挑戦として、持っている理論がどこまで通用するのかをLIXILグループで試みてきました。

 

 GEでは企業を永続的に経営するためのリーダーの役割は「変革を起こすこと」「人を育てること」だと掲げています。変革とは現状に満足せず組織や社会を高みへ導くことであり、生まれながらの資質ではなく、プロセスで起こすことができる。これを教えれば30万人の社員たちが全員、変革を起こせるリーダーになれるとウェルチは考えていました。

 

 変革を起こすためのプロセスは次の3つです。組織の行き先を教えることがVision。全員が行動を起こすまで、Visionを伝え続けることがCommunication。どんな戦略でチームを作り達成するのかがExecutionです。

リーダーに必要なのがこの3つのスキルであり、中でも全体の8割の重要度を占めるのがCommunicationです。Communicationでは共感を与え、行動を起こさせることが重要です。共感がなければ人は行動に移りません。日本人は自己表現が苦手ですが、相手のことを引き出すためには不可欠です。自分を語り、話を聞く力を持ち、オープンな雰囲気をつくる。これにより、はじめてCommunicationは完成するのです。

 Executionの具体的なアプローチの方法は、さらに3つのステップからなります。伝播者をつくる、さまざまな機会を利用して語りかける、反対する人への対策を打つ。伝播者の2割をいかに使って、態度保留の7割に影響を与えるか。皆がわかるまで同じことを何度でも、同じパッションで伝えます。

 

 コミュニケーションやプレゼンでは、1回目も101回目も同じパッションで最高のパフォーマンスを演じなければいけません。本題にたどり着く前に相手が興味を失わないよう、伝え方も重要です。ポーズ、スマイル、アイコンタクトといった視覚的要素も影響を与えますので、自分のプレゼン映像の音声を消してみたり、音だけで聞いてみたりするとよいでしょう。足りないものや伝わらない理由が分かります。

 LIXILは現在、グローバル企業に転じようとしています。我々のビジョンは「ウォーターテクノロジー世界No.1」であり、これまでの延長戦ではない、天井を越えるものを目指しています。ダイバーシティ・機会均等・実力主義を定着させ、ルールに基づいた競争ができる土壌づくりに努め、評価・教育制度の制定を実施しています。

 次世代育成とは次の社長を育成することではなく、次の世代をつくることです。私の経験から、グローバルに通用するリーダーシップとは何かをまとめると、(1)リスクをとり、(2)過去の成功体験にこだわらず、(3)思い切った変革を起こし、(4)失敗を恐れず、(5)誰もが平等に競争できる仕組みを作り、(6)ダイバーシティを重んじて実践し、(7)企業・社会に大きな夢を持たせ、(8)世界のあらゆる人材、リソースを利用して、(9)短期間で成果を出す、ということになるでしょう。リーダーはビジョンを示し、努力と反復とパッションで伝えていかなければなりません。

「実例を交えてのロジカルな講演で勉強になった。今実施している人事改革に自信を持つことができた」
「とても迫力のあるご講演でした。どこにポイントを置いて考えるべきか、組織をどうつくるべきか考える材料になりました」

 


元 株式会社LIXILグループ 取締役 代表執行役社長 兼 CEO
元 ゼネラル・エレクトリック・カンパニー
シニア・バイス・プレジデント
藤森 義明


1975年東京大学工学部卒業後、日商岩井入社(現 双日)。81年、米カーネギーメロン大学MBA取得。86年日本GE入社。97年米GEカンパニー・オフィサー、2001年アジア人初のシニア・バイス・プレジデント就任。08年日本GE会長兼社長兼CEO兼任。11年から16年まで株式会社LIXILグループ 取締役代表執行役社長兼CEO。11年から16年まで株式会社LIXIL 代表取締役社長兼CEO、16年4月から6月まで株式会社LIXIL代表取締役会長兼CEO兼任。2016年6月より相談役。その他、東京電力ホールディングス社外取締役、武田薬品工業社外取締役、ボストン・サイエンティフィックコーポレーション社外取締役、カーネギーメロン大学ボードオブトラスティー。

事例セッション:世界が注目する現場のマネジメント: 語りかける改革 ~モチベーションと自浄能力の高い組織づくり

 

 

 この秋、米国ハーバード大ビジネススクールの必須科目として採用された「奇跡のケーススタディー」が、改めて世界から注目されています。それは矢部輝夫氏(現 おもてなし創造カンパニー代表)がJR東日本テクノハートTESSEI時代に、おもてなし創造部長として実践してきた改革です。社員一人ひとりが誇りをもって現場をKAIZENしていく、そのサイクルを生み出したのは、冷静な分析と熱意で支えるマネジメントでした。

講演中には実際のエンジェルリポートの内容も紹介され、トップダウン・ボトムアップ双方からの熱意や、働く誇りが伝わる内容となりました。

 

 

 TESSEIは新幹線車両内の清掃を担う会社です。かつては会社を存続する意思が薄く、どんぶり勘定で意志不統一、働く人のモチベーションも低下、と負のスパイラルが続いている状態でした。この連鎖を断ち切るには、3Kと呼ばれる清掃のイメージと意識を変える、新しい価値観の創出が必要です。

 そこで私は、自分たちを「世界最高の技術を持つ新幹線の車両を、お掃除という面から支える技術会社」と定義し、従業員に誇りを持つことを伝え、7つのスイッチを押しました。そのエネルギーを受け、スタッフたちが一生懸命やってくれたおかげで、TESSEIは今や世界が注目する現場となったのです。

 

 アメリカのCNNにより、私たちの仕事ぶりは「seven minutes miracle(奇跡の7分間)」と報道されました。東北新幹線が東京駅に到着してから、発車するまでの清掃の持ち時間は7分。7分の間に一人当たり1両100席の清掃を行います。年間40〜50件あったクレームは、現在では5〜6件、それも列車の到着が遅れ、JRから作業短縮の指示がきた時に集中しています。こうした仕事ぶりが世界に認められているのは、平均年齢50歳というTESSEIを支える従業員たちが、誇りを持ってきびきびと行動し、完璧な仕事をしているからです。

 

 

 

 私が押したスイッチの1つ目は「仕事の再定義」です。
我々の商品は「思い出」だと定義すると、社員が「私たちの仕事場は新幹線劇場。主役であるお客さまと脇役である私たちが、ステージの上で素晴らしいシーンを作り、思い出というお土産をお持ち帰りいただこう」と言ってくれました。お掃除をしながら困っているお客さまを見つけてサポートする、コメットさんというチームもできました。

 

 スイッチ2は、「厳しさ」「真摯さ」「熱意」「継続」です。
会社の体幹強化、現場のリーダーづくりに取り組み、マニュアルを整備しました。リーダーとフォロワーのポジション、役割も明確にし、現場のリーダーにチェックを実施させ、よりミスのない仕事に導きます。

 

 スイッチ3は「真のマネジメント」。スイッチ4は「許容」「一流の実行力」です。
スタッフの建設的な提案に対して「ノー!」とは言わず、戦略は二流、三流でもいいから、一流の実行力でどんどんやっていこうと言い、様々なスタッフのアイデアを採用しています。

 

  スイッチ5は、「トップダウン」「本気」「ボトムアップ」です。
社員と定めたキャッチコピー「さわやか、あんしん、あったか」をトップダウンで始め、ボトムアップで完成してもらう。スタッフが思いを素直に発信し、実践しています。

 

  スイッチ6は「認め合う」ことです。
社内に約30名の「エンジェルリポーター」という役割をつくり、よいと思った人と内容を報告してもらい、表彰もします。こつこつと地道に頑張る人にもスポットを当てることができ、成功体験の共有ができます。

 

  スイッチ7は、「見られる」です。
お客さまと社会に見られること。TESSEIの活動が社会に認められ、マスコミに取り上げられることが社員にとって新たな誇りと自信となっています。

 

 生産は現場にいる人々によって行われ、そこで働く人々はさまざまな想いを持っています。社員の意欲の源泉は、まず生活と身分の安定、そして組織と社会に認められることです。どんな仕事、どんな人生でも誇りと生きがいをもった瞬間から、幕が開けます。私達が実践したのは、スタッフの存在意義を再定義し「新しい時代が来た」と思ってもらえるよう現場を改革することです。会社の本気が伝わらなければ、思いは伝わらないのです。アイデンティティ、会社の伝統・歴史といった変えてはならないものを見極め守りながら、知恵と工夫で経営を共創していきました。

「現場の力を感じた。トップダウン、ボトムアップ双方で動いていくことで、よいスパイラルが回っていくと感じた」
「感動しました。TESSEIの理念とObachanの底力に思わず涙し、
日本人としての誇りを感じました」

 


合同会社おもてなし創造カンパニー代表
元JR東日本テクノハートTESSEI
おもてなし創造部長
矢部 輝夫


1966年 日本国有鉄道入社を皮切りに、40年間鉄道人として勤務。その間、安全対策部課長代理、輸送課長、立川駅長、運輸部長、指令部長の職を歴任。2005年 鉄道整備株式会社(現JR東日本テクノハートTESSEI)取締役経営企画部長に就任。従業員の定着率も低く、事故やクレームも多かった新幹線の清掃会社をおもてなし集団へと変革。11年 専務取締役に就任。13年 おもてなし創造部長(嘱託)。15年 合同会社「おもてなし創造カンパニー」を設立し代表となり、現在に至る。その取組みはハーバードビジネススクールMBAの必修科目となるなど国内外から注目されている。

特別セッション:伝える力 ~人と組織の能力を最大限に発揮させるために

 

 

 リオ五輪にて、シンクロ日本代表チームを念願の銅メダルへと導いた、井村雅代日本代表監督。何をどう伝えれば、選手の能力を最大限に引き出せるのか。着実に結果を出し続ける緻密な戦略と、人を動かす真の指導術について語っていただきました。

 銅メダルを掴んだ決勝の映像を交えながら、語られた70分間。講演後のアンケートでは、たくさんの参加者から「勇気とマネジメントのヒントをいただいた」との声が寄せられました。

 

 

 

 オリンピックの前日、選手たちを試合に送り出す時に「チームワークはいらない、あなたの100%、120%を出せ。8人みんな足したら100%できる」と言いました。そして本番2分前には「もっともハードな練習をしたのだから、一回ぐらいできないはずはない。ともかくいけ」と。そして「決して探るな!間違ってもかまわない」と伝えました。結果、彼女たちは練習のとおりにすべての力を出し切ってくれました。

 

 観客席から授賞式を見て、あの子たちがメダリストになった。この子たちを追い込んだ責任は、メダルをとることで果たすことができた、と思いました。

 

 三流は道に流される。二流は道を選び、一流は道をつくる。私は一流のものをつくり、道をつくる人でありたい。今回のメダルが常勝国のきっかけとなり、常勝国でありつづけられるように頑張るご縁となればと思います。

「指導者の苦労、辛さ、そして真の優しさ。無理をさせることの本質を理解しました。」
「リオで感動し、本日もまた感動しました。立派な経営リーダーだと感じました。知恵を出して解決する、責任のとり方を見習っていきたいです」


シンクロナイズドスイミング 日本代表ヘッドコーチ
一般社団法人 井村シンクロクラブ 代表理事
井村 雅代氏 


10年間のシンクロナイズドスイミングの選手を経て、1974年よりコーチをはじめる。78年から日本代表コーチを務め、85年には井村シンクロクラブを設立。シンクロナイズドスイミングがオリンピック種目になってから、6大会連続メダル獲得を成し遂げ、立花美哉や武田美保をはじめ、多くのオリンピック選手を育てている。またその手腕を認められアメリカ、カナダ、韓国、スペイン等の国にシンクロナイズドスイミングの講師として招かれている。そして2006年12月、北京五輪に向けて中国代表ヘッドコーチに就任。08年に行われた北京五輪にてチームで中国代表史上初の銅メダルを獲得した。さらに12年ロンドン五輪では再度中国代表ヘッドコーチとして、チームで銀メダル、デュエットで銅メダルと2つのメダルを獲得した。世界が認めるシンクロコーチとして更に注目を浴びた。14年より日本代表コーチに復帰。2016年リオデジャネイロオリンピックでは、日本にとっては北京五輪以来のデュエット銅メダル、チームとしてはアテネ五輪以来のメダル復活へと導いた。

<参加者の属性>

 

【業種】

 

【部署】

 

【役職】