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NIHONBASHI BRIDGE FORUM 2016-3

 

 GE米国本社でアジア人初のシニア・バイス・プレジデントに就任し、じかにジャック・ウェルチ氏の薫陶を受けた藤森義明氏。次代を担うリーダーを育成し変革を起こしていくために、組織はいかにあるべきか。また、そのためのリーダーの条件とは。日本のビジネス界を代表するグローバルリーダーに、世界基準の「伝える技術」を伝授していただきました。


具体的な方法論を伴ったロジカルな講演内容は、組織づくりにとって実りのある情報となり、質疑応答の時間には、参加者よりたくさんの手が挙がりました。

 

 

 自分自身の変革、経営論、リーダーシップ論などに対する考え方は、35歳から50歳くらいまでの間にどんな経験をしたか、どういうボスに出会ったかによってつくられます。私はGEでジャック・ウェルチという素晴らしい経営者と時間を共にし、経営論、リーダーシップ論の面で大きく影響を受けました。そのあと私自身の挑戦として、持っている理論がどこまで通用するのかをLIXILグループで試みてきました。

 

 GEでは企業を永続的に経営するためのリーダーの役割は「変革を起こすこと」「人を育てること」だと掲げています。変革とは現状に満足せず組織や社会を高みへ導くことであり、生まれながらの資質ではなく、プロセスで起こすことができる。これを教えれば30万人の社員たちが全員、変革を起こせるリーダーになれるとウェルチは考えていました。

 

 変革を起こすためのプロセスは次の3つです。組織の行き先を教えることがVision。全員が行動を起こすまで、Visionを伝え続けることがCommunication。どんな戦略でチームを作り達成するのかがExecutionです。リーダーに必要なのがこの3つのスキルであり、中でも全体の8割の重要度を占めるのがCommunicationです。Communicationでは共感を与え、行動を起こさせることが重要です。共感がなければ人は行動に移りません。日本人は自己表現が苦手ですが、相手のことを引き出すためには不可欠です。自分を語り、話を聞く力を持ち、オープンな雰囲気をつくる。これにより、はじめてCommunicationは完成するのです。


 Executionの具体的なアプローチの方法は、さらに3つのステップからなります。伝播者をつくる、さまざまな機会を利用して語りかける、反対する人への対策を打つ。伝播者の2割をいかに使って、態度保留の7割に影響を与えるか。皆がわかるまで同じことを何度でも、同じパッションで伝えます。

 

 コミュニケーションやプレゼンでは、1回目も101回目も同じパッションで最高のパフォーマンスを演じなければいけません。本題にたどり着く前に相手が興味を失わないよう、伝え方も重要です。ポーズ、スマイル、アイコンタクトといった視覚的要素も影響を与えますので、自分のプレゼン映像の音声を消してみたり、音だけで聞いてみたりするとよいでしょう。足りないものや伝わらない理由が分かります。


 LIXILは現在、グローバル企業に転じようとしています。我々のビジョンは「ウォーターテクノロジー世界No.1」であり、これまでの延長戦ではない、天井を越えるものを目指しています。ダイバーシティ・機会均等・実力主義を定着させ、ルールに基づいた競争が出来る土壌づくりに努め、評価・教育制度の制定を実施しています。


 次世代育成とは次の社長を育成することではなく、次の世代をつくることです。私の経験から、グローバルに通用するリーダーシップとは何かをまとめると、(1)リスクをとり、(2)過去の成功体験にこだわらず、(3)思い切った変革を起こし、(4)失敗を恐れず、(5)誰もが平等に競争できる仕組みを作り、(6)ダイバーシティを重んじて実践し、(7)企業・社会に大きな夢を持たせ、(8)世界のあらゆる人材、リソースを利用して、(9)短期間で成果を出す、ということになるでしょう。リーダーはビジョンを示し、努力と反復とパッションで伝えていかなければなりません。

「実例を交えてのロジカルな講演で勉強になった。
 今実施している人事改革に自信を持つことができた」
「とても迫力のあるご講演でした。どこにポイントを置いて考えるべきか、
 組織をどうつくるべきか考える材料になりました」

 

元 株式会社LIXILグループ 取締役 代表執行役社長 兼 CEO
元 ゼネラル・エレクトリック・カンパニー
シニア・バイス・プレジデント

藤森 義明

 

1975年東京大学工学部卒業後、日商岩井入社(現 双日)。81年、米カーネギーメロン大学MBA取得。86年日本GE入社。97年米GEカンパニー・オフィサー、2001年アジア人初のシニア・バイス・プレジデント就任。08年日本GE会長兼社長兼CEO兼任。11年から16年まで株式会社LIXILグループ 取締役代表執行役社長兼CEO。11年から16年まで株式会社LIXIL 代表取締役社長兼CEO、16年4月から6月まで株式会社LIXIL代表取締役会長兼CEO兼任。2016年6月より相談役。その他、東京電力ホールディングス社外取締役、武田薬品工業社外取締役、ボストン・サイエンティフィックコーポレーション社外取締役、カーネギーメロン大学ボードオブトラスティー。

 

 この秋、米国ハーバード大ビジネススクールの必須科目として採用された「奇跡のケーススタディー」が、改めて世界から注目されています。それは矢部輝夫氏(現 おもてなし創造カンパニー代表)がJR東日本テクノハートTESSEI時代に、おもてなし創造部長として実践してきた改革です。社員一人ひとりが誇りをもって現場をKAIZENしていく、そのサイクルを生み出したのは、冷静な分析と熱意で支えるマネジメントでした。

講演中には実際のエンジェルリポートの内容も紹介され、トップダウン・ボトムアップ双方からの熱意や、働く誇りが伝わる内容となりました。

 

 

 TESSEIは新幹線車両内の清掃を担う会社です。かつては、会社を存続する意思が薄く、どんぶり勘定で意志不統一、働く人のモチベーションも低下、と負のスパイラルが続いている状態でした。この連鎖を断ち切るには、3Kと呼ばれる清掃のイメージと意識を変える新しい価値観の創出が必要です。そこで私は、自分たちを「世界最高の技術を持つ新幹線の車両を、お掃除という面から支える技術会社」と定義し、従業員にもっと誇りを持つことを伝え、7つのスイッチを押しました。そのエネルギーを受け、スタッフたちが一生懸命やってくれたおかげで、TESSEIは今や世界が注目する現場となったのです。

 

 アメリカのCNNにより、私たちの仕事ぶりは「seven minutes miracle(奇跡の7分間)」と報道されました。東北新幹線が東京駅に到着してから、発車するまでの清掃の持ち時間は7分。7分の間に一人当たり1両100席の清掃を行います。年間40〜50件あったクレームは、現在では5〜6件、それも列車の到着が遅れ、JRから作業短縮の指示がきた時に集中しています。こうした仕事ぶりが世界に認められているのは、平均年齢50歳というTESSEIを支える従業員たちが、誇りを持ってきびきびと行動し、完璧な仕事をしているからです。

 

 

 

 私が押したスイッチの1つ目は「仕事の再定義」です。我々の商品は「思い出」だと定義すると、社員が「私たちの仕事場は新幹線劇場。主役であるお客さまと脇役である私たちが、ステージの上で素晴らしいシーンを作り、思い出というお土産をお持ち帰りいただこう」と言ってくれました。お掃除をしながら困っているお客さまを見つけて、サポートするコメットさんというチームもできました。

 

 スイッチ2は、「厳しさ」「真摯さ」「熱意」「継続」です。会社の体幹強化、現場のリーダーづくりに取り組み、マニュアルを整備しました。リーダーとフォロワーのポジション、役割も明確にし、現場のリーダーにチェックを実施させ、よりミスのない仕事に導きます。

 

 スイッチ3は「真のマネジメント」。スイッチ4は「許容」「一流の実行力」です。スタッフの建設的な提案に対して「ノー!」とは言わず、戦略は二流、三流でもいいから、一流の実行力でどんどんやっていこうと言い、様々なスタッフのアイデアを採用しています。

 

  スイッチ5は、「トップダウン」「本気」「ボトムアップ」です。社員と定めたキャッチコピー「さわやか、あんしん、あったか」をトップダウンで始め、ボトムアップで完成してもらう。スタッフが思いを素直に発信し、実践しています。

 

  スイッチ6は「認め合う」ことです。社内に約30名の「エンジェルリポーター」という役割ををつくり、よいと思った人と内容を報告してもらい、表彰もします。こつこつと地道に頑張る人にもスポットを当てることができ、成功体験の共有ができます。

 

  スイッチ7は、「見られる」です。お客さまと社会に見られること。TESSEIの活動が社会に認められ、マスコミに取り上げられることが社員にとって新たな誇りと自信となっています。

 

 生産は現場にいる人々によって行われ、そこで働く人々はさまざまな想いを持っています。社員の意欲の源泉は、まず生活と身分の安定、そして組織と社会に認められることです。どんな仕事、どんな人生でも誇りと生きがいをもった瞬間から、幕が開けます。私達が実践したのは、スタッフの存在意義を再定義し「新しい時代が来た」と思ってもらえるよう現場を改革することです。会社の本気が伝わらなければ、思いは伝わらないのです。アイデンティティ、会社の伝統・歴史といった変えてはならないものを見極め守りながら、知恵と工夫で経営を共創していきました。

「現場の力を感じた。トップダウン、ボトムアップ双方で動いていくことで
 よいスパイラルが回っていくと感じた」
「感動しました。TESSEIの理念とObachanの底力に思わず涙し、
 日本人としての誇りを感じました」

 

合同会社おもてなし創造カンパニー代表
元JR東日本テクノハートTESSEI
おもてなし創造部長
矢部 輝夫

 

1966年 日本国有鉄道入社を皮切りに、40年間鉄道人として勤務。その間、安全対策部課長代理、輸送課長、立川駅長、運輸部長、指令部長の職を歴任。2005年 鉄道整備株式会社(現JR東日本テクノハートTESSEI)取締役経営企画部長に就任。従業員の定着率も低く、事故やクレームも多かった新幹線の清掃会社をおもてなし集団へと変革。11年 専務取締役に就任。13年 おもてなし創造部長(嘱託)。15年 合同会社「おもてなし創造カンパニー」を設立し代表となり、現在に至る。その取組みはハーバードビジネススクールMBAの必修科目となるなど国内外から注目されている。

 

 

 リオ五輪にてシンクロ日本代表チームを念願の銅メダルへと導いた、井村雅代日本代表監督。何をどう伝えれば、選手の能力を最大限に引き出せるのか。着実に結果を出し続ける緻密な戦略と、人を動かす真の指導術について語っていただきました。


銅メダルを掴んだ決勝の映像を交えながら、語られた70分間。講演後のアンケートでは、たくさんの参加者から「勇気とマネジメントのヒントをいただいた」との声が寄せられました。


 

 

 オリンピックの前日、選手たちを試合に送り出す時に「チームワークはいらない、あなたの100%、120%を出せ。8人皆足したら100%出来る」と言いました。そして本番2分前には「もっともハードな練習をしたのだから、一回ぐらいできないはずはない。ともかくいけ」と。そして「決して探るな!間違っても構わない」と伝えました。結果、彼女たちは練習の通りにすべての力を出し切ってくれました。

 

 観客席から授賞式を見て、あの子たちがメダリストになった。この子たちを追い込んだ責任は、メダルをとることで果たすことができた、と思いました。


 三流は道に流される。二流は道を選び、一流は道をつくる。私は一流のものをつくり、道をつくる人でありたい。今回のメダルが常勝国のきっかけとなり、常勝国でありつづけられるように頑張るご縁となればと思います。

「指導者の苦労、辛さ、そして真の優しさ。
 無理をさせることの本質を理解しました。」
「リオで感動し、本日もまた感動しました。
 立派な経営リーダーだと感じました。
 知恵を出して解決する、責任のとり方を見習っていきたいです」

 

シンクロナイズドスイミング 日本代表ヘッドコーチ
一般社団法人 井村シンクロクラブ 代表理事
井村 雅代氏 


10年間のシンクロナイズドスイミングの選手を経て、1974年よりコーチをはじめる。78年から日本代表コーチを務め、85年には井村シンクロクラブを設立。シンクロナイズドスイミングがオリンピック種目になってから、6大会連続メダル獲得を成し遂げ、立花美哉や武田美保をはじめ、多くのオリンピック選手を育てている。またその手腕を認められアメリカ、カナダ、韓国、スペイン等の国にシンクロナイズドスイミングの講師として招かれている。そして2006年12月、北京五輪に向けて中国代表ヘッドコーチに就任。08年に行われた北京五輪にてチームで中国代表史上初の銅メダルを獲得した。さらに12年ロンドン五輪では再度中国代表ヘッドコーチとして、チームで銀メダル、デュエットで銅メダルと2つのメダルを獲得した。世界が認めるシンクロコーチとして更に注目を浴びた。14年より日本代表コーチに復帰。2016年リオデジャネイロオリンピックでは、日本にとっては北京五輪以来のデュエット銅メダル、チームとしてはアテネ五輪以来のメダル復活へと導いた。

 

【業種】

 


【部署】

 


【役職】